2008年秋のリーマン・ショックに直撃された後、ギリシャの政府債務危機はヨーロッパ全域に波及し、イタリア、スペイン、ポルトガルなど財政基盤の脆弱(ぜいじゃく)な欧州連合(EU)諸国を巻き込みながら、欧州統合の行く末に暗雲を投げかけてきた。ユーロ危機は、欧州経済共同体(EEC)発足以来、半世紀にわたって幾たびかヨーロッパを悩ませてきた統合の後退を再びもたらすのか、世界は固唾(かたず)を呑んで見守る。
1957年にEECに参加したフランス、西ドイツ(当時)、イタリア、オランダ、ベルギー、ルクセンブルクのヨーロッパ6カ国の最大の思惑は、2度の世界大戦を経験したことで衰退した世界政治経済の中心的地位を取り戻すことにあった。1648年の宗教戦争を終わらせたウエストファリア条約以降、ヨーロッパは世界政治経済の中心地であった。と同時に、国々のナショナリズムが常に衝突し合う場ともなってきた。マーストリヒト条約に基づいて現在のEUへと統合を進化させた1990年代でさえ、ナショナリズムの再来による統合の減速を予測する声が絶えなかったのも、このような歴史的背景が強く意識されたからである。
ユーロを共通通貨とするユーロランド構想が現実化した99年当時も、同じ懸念が少なからず示され、現にEU加盟国でもイギリスやデンマーク、スウェーデンなどがいまだにユーロランドに参加していないのは、通貨ナショナリズムの勢いがいかに強いかを物語っている。2011年12月のEU首脳会議でユーロ危機の打開策を論議した際にイギリスが独仏主導の危機回避策に反対したのも、こうしたナショナリズムの動機に基づいていた。果たして、ユーロ圏の混乱は、紆余曲折を経ながらも統合への道を歩んできたEUの将来に、遠心化作用を及ぼすのか。とくに大国であるイギリス国内でEUからの脱退を求める声が強まり、保守党政権内部で勢いを増している一事は、この傾向を強める動向として注目される。さらに、14年5月の欧州議会選挙で統合推進派が退潮したことや、15年1月にフランスで起こった風刺週刊紙「シャルリー・エブド」襲撃事件によって、反EU統合の機運が高まったことも、遠心力を強める動きを示している。