パレスチナ国家樹立に向けて、西岸・ガザ地区で、外交や対外安全保障を除き、行政サービス・治安などを提供している機関。パレスチナ人の自治権は1993年9月、「暫定自治に関する諸原則」(オスロ合意)で確立した。その後、政治的権利が拡大、96年1月にパレスチナ立法評議会議員・首長(現在は「大統領」)を選出する総選挙が実施され、アラファトPLO議長が暫定自治政府長官に就任した。自治政府は、立法権限は評議会(PLC 議席132)が有し、行政権限は大統領を長とする行政機関が有する。また司法は、イスラエル軍の法令が優先され、西岸ではヨルダンの法体系、ガザではエジプトの法体系が機能している。なお、憲法に相当するものとして、2003年3月に基本法を制定している。大統領は04年11月のアラファトの死去にともない、05年1月9日の選挙でアッバスが選出された。また06年1月、第2回立法評議会選挙が実施されたが、イスラム復興主義のハマスが勝利し、3月にハニヤ政権が成立した。ハマスをテロ組織と認識するアメリカ、欧州連合(EU)は同政権への支援を停止し、(1)非暴力、(2)イスラエルの生存権承認、(3)過去の諸合意の受け入れ、の3条件の実施を要求した。同政権下では、イスラエルによる閣僚拘束、パレスチナ人公務員のゼネストが起きた。07年2月、サウジアラビアの仲介で、ファタハとハマスの挙国一致内閣樹立で合意(メッカ合意)するものの、6月にはハマスが武力によりガザを掌握する事態に至った。アッバス大統領は、自治区全域の緊急事態を宣言、非ハマス系からなるファイヤド内閣(緊急内閣)を成立させた。ファイヤドは7月に改めて暫定内閣首相に就任、自治区は分裂統治の状態となっている。なお、08年12月に起きたガザ紛争によって、09年に実施予定の大統領と立法評議会の選挙日程が組めなくなっている。アッバス大統領は次期選挙への不出馬を表明している。