レバノンのシーア派住民を基盤とするイスラム復興運動。アラビア語で「神の党」を意味する。1982年のイスラエル軍のレバノン侵攻直後に設立され、アメリカ、イスラエルへの武装抵抗運動を行っており、シリア、イランの支援を受けている。同組織はイスラム共和国の樹立を目指すもので、指導者のハッサン・ナスラッラー師はイランのハメネイ師に師事しているといわれている。同組織による南レバノンでの反イスラエル闘争は、2000年5月のイスラエル軍の撤退を導いたが、その後も、南レバノン・シェバア農地はレバノン領ではないとして駐留を続けるイスラエル軍に対しても抵抗運動を続けている。06年7月、イスラエル領で兵士を拉致し、イスラエル・ヒズボラ紛争となる。同組織はイスラエル北部へのロケット弾攻撃(3970発発射)や海上封鎖中の艦船へのミサイル攻撃、さらに最新鋭の対戦車ミサイルでイスラエルに被害と衝撃を与えた。そして地上戦でイスラエル兵士に117人の戦死者が出たこともあり、同国に敗北感を抱かせた。紛争は8月14日に国連の安保理決議に基づき停戦したが、同組織の指導者ナスラッラー師は勝利宣言を行い、レバノンの復興支援として、被災者に一世帯当たり、1万~1万2000ドルの生活援助金を支援した。なお、同組織を含む政治グループは05年5月、レバノン総選挙で35議席を獲得し、初めて入閣させている。その後09年6月の国民議会選挙ではヒズボラは13議席しか獲得できず、閣僚も2人にとどまり、閣内での拒否権も失っている。しかし、ナスラッラー師へのシーア派内での支持は依然強い。