2007年5月20日から9月2日まで、レバノン北部のパレスチナ難民キャンプのナハル・バーリドに立てこもり、レバノン国軍との戦闘を続けた組織で、構成員は200人程度。3カ月以上に及ぶ立てこもり事件は、レバノン政府が銀行強盗の捜査を行うなかで発生し、9月2日に同キャンプをレバノン軍が制圧して収束した。レバノン政府には元来、パレスチナ難民キャンプに立ち入らないとの紳士協定があった。指導者シャーケル・アブスィーは、戦闘で死亡したと見られていたが、DNA鑑定の結果、別人と判明した。同指導者はかつてパレスチナ解放機構(PLO)のファタハに所属していたが、05年以降アルカイダへの忠誠を誓い(イラクのアルカイダの前指導者ザルカウィとのつながりも指摘されていた)、06年秋ごろから同難民キャンプに拠点を置き、キャンプ内でのイスラム法施行を主張していた。また、同指導者のシリア情報機関との結びつきも取りざたされている。同事件では、キャンプの住民が一時人質となる事態も発生、またキャンプからは多数の避難民が流出した。事件による死者は総計300人に及んでいる。