イラン、ウズベキスタン、パキスタンなどに囲まれた南西アジアの内陸国家。人口約3000万人(2008年現在。国連アフガニスタン支援ミッション)。イスラムが国教(人口の95%がムスリム〔イスラム教徒〕)。民族的には約半数がパシュトゥン人であり、その他、タジク、ウズベク、トルクメン、またシーア派のハザーラ人などがいる。20世紀初頭までイギリスの保護国であったが、外交権の回復後はイギリス、ロシア(ソ連)、アメリカなど異なる大国との均衡的な関係を維持した。しかし、1979年12月のソ連による軍事介入以来、内戦状態が続く。90年代後半からは、タリバン政権が国土の大半を制圧し、反タリバンで結集した北部同盟との対立が続いていた。2001年9月の同時多発テロをきっかけに、アメリカがビンラディン率いるアルカイダと、彼らをかくまうタリバンを掃討する作戦(「不朽の自由」作戦)に着手。同年末までにタリバン政権は崩壊した。01年11~12月、ドイツのボンで開催されたアフガニスタン各派代表者会合(ボン会合)で、新政権樹立に向けたロードマップが策定された。これに従い、親欧米派のカルザイ政権の下で、予定から遅れながらも、緊急ロヤ・ジルガ(全国規模の伝統的意思決定会議)の招集(02年6月)、憲法制定ロヤ・ジルガ招集(03年12月)、大統領選挙(04年10月9日)、国会下院(ウォレシ・ジルガ)と州議会選挙(05年9月18日)などが実施され、ボン会合プロセスは完了。しかし、その後もタリバンの復興に伴い国内情勢は安定せず、紛争後の混乱が続いている。(→「アフガニスタン大統領選挙(2009年)」「アフガニスタンの現状」)