1991年にソビエト連邦(ソ連)から独立した中央アジア中南部に位置する国。首都はタシケント。約3030万人(2016年、国連人口基金)の人口は中央アジア5カ国で最多。歴史的にシルクロードの要衝で、ティムール朝など多くの国家が今日のウズベキスタン領に首都を構えた。国の主要民族であるウズベク人はテュルク諸語南東語群に属し、ウイグル語との類縁性がある。ウズベク人は隣接するアフガニスタン、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、トルクメニスタンにも多く住む。また、北西部にはカラカルパク人の民族自治領域であるカラカルパク共和国が存在する。国内は、タシケント、フェルガナ、ブハラ=サマルカンド、ホラズムなど各地域に強いアイデンティティが存在し、それが政治閥の形成に結びついている。
独立当初からカリモフ大統領は権力集中を進め、反体制運動やイスラム運動を弾圧し、強固な権威主義体制が確立された。国民投票や憲法改正により大統領任期は恣意的に変更され、独立後の25年間で大統領選挙は4度しか行われなかった(1991年、2000年、07年、15年)。憲法上の大統領の3選禁止規定は、憲法改正のたびに一から選出回数を数え直すとされ、実質的に無視された。表向きの大統領独裁の下では、地方指導者の権力闘争も起きており、法の支配の軽視は広範囲におよぶ汚職・腐敗の温床となった。05年に東部アンディジャン州で起きた反体制集会への武力弾圧(アンディジャン事件)の背景にも、腐敗した地方指導者や企業家への上からの抑圧という背景があった。外交面では、ロシア、中国、アメリカなどとの関係をその時々でラディカルに変化させることで外交の独立性を保つという戦略を取ってきた。カリモフ大統領は16年9月に急逝し、右腕として首相職を13年間務めてきたミルジヨエフが大統領代行に就任。同年12月の大統領選挙で正式に大統領に選出された。
経済面では、カザフスタンやキルギスと異なり、ウズベキスタンは急進的な市場経済改革路線を取らず、旧ソ連時代以来の国家管理型の経済運営が色濃く残っている。この「漸進主義」により、国際経済の影響をあまり受けることなく、リーマン・ショック後も安定的な経済成長(年8%程度)を示す一方で、国民の生活水準は決して高くない。過剰な労働人口を抱えるため、ロシアやカザフスタンへの出稼ぎ労働者の供給国である。乾燥地にありながら国内をシルダリヤ、アムダリヤという大河が流れることから水資源が豊富であり、綿花栽培を中心とする灌漑農業が盛ん。製造業の基盤も存在するため、潜在的な経済発展の可能性は高い。