非ユークリッド幾何学の成功に勢いを得て、ドイツのD.ヒルベルトは「面と線と点の代わりに、机と椅子とジョッキとしても幾何学はできる」と宣言した。これは、「概念の関係を規定する公理系(axiomatic system)さえ矛盾なければ、自然界と無関係に数学ができるし、公理系さえ完全なら、すべての真理を導ける」という形式主義へと発展した。
これに反対したのが、フランスのH.ポアンカレ、オランダのL.E.J.ブロウエルらである。ブロウエルは形式主義の「すべての真理を導ける」に、「無限集合では排中律が成立しないことがある」と反論し、「数学的な真理や対象は数学を考える精神活動によって、直接にとらえることができる」と主張した。これを直観主義という。
一方、数理論理学で数学の再構成を試みたイギリスのB.A.W.ラッセルらは「数学は論理学の一分科に過ぎない」と主張した。これを論理主義という。
結局、形式主義者が頼りにしていた基礎論が「公理系が完全であればすべて証明できる」という夢を否定することになる。K.ゲーデルによる不完全性定理の証明がそれである。
なお、排中律(law of excluded middle)とは、「(Aである)か(Aでない)のいずれかが成立する」というもの。