寛容をめぐる問題は、宗教的信仰と政治権力との葛藤関係を発端として浮上してきた。ロック(John Locke 1632~1704)は、この問題に対して、政治権力の介入を世俗的な財産の次元に制限し、それを魂の救済という信仰の次元から分離した。信仰の自由への政治権力による寛容の確保である(「寛容についての書簡」)。さらに寛容の問題は、信仰だけでなく、異なる意見や思想を持つ個人ないしは集団に対する態度として、より広く論じられることになった。近代ではそこから政治と宗教の分離、公共空間と私的空間の区分がもたらされた。
だがこの区分は必ずしも固定的ではなく、寛容をめぐる問題が消失したわけではない。今でもヨーロッパ諸国では、学校教育の公共性と、その現場での特定の信仰表明や、言語使用との葛藤が議論の対象となり、多民族国家や移民社会でのマイノリティーの問題など、政治的・文化的な多元性が顕在化している。異質なものに対する態度としての寛容が、多様性や差異の承認と尊重のために、ますます切迫したものとして要請されている。
寛容が含む多元主義的主張には、相対主義という疑惑が常につきまとう。しかし「すべては相対的だ」という言明が、論理的には決して首尾一貫して主張し得ない以上、矛盾を含むのは自明である。むしろ多元性の承認としての寛容ということがすでに前提としている普遍的な場のようなものが存在するのではないか。それは、いかなる共通性も持たないことによってのみ共通性を持ち得るような場であろう。たとえそのような場は、多元性の承認の果てに、その限界として見いだされるにすぎないのだとしても。