形而上学とは、世界(自然)の普遍的な性質や、超経験的な原理を探求することを課題とする、哲学のもっとも根本的な分野のことである。このmetaphysicsという名称は、もともとは古代ギリシャのアリストテレス(Aristotels 前384~前322)の著作群を編集するさい、「第一哲学」の論集が「自然学(ta physika)」の「後に(meta)」に配されたところに由来する。これがのちに自然を「超えた(meta)」原理への探求を意味するものと解されるようになり、metaphysicaというラテン語として定着し中世に伝えられた。「形而上学」という翻訳は、「易経」の「形而上者謂之道(形よりして上なる者、之れを道という)」に拠る。
アリストテレスの規定によれば、形而上学(第一哲学)とは「存在としての存在」の研究(存在論)であり、さらには万物の「第一原因」の研究(神学)である。すなわち、自然学が生物や気象などの限定的な研究領域をもつのに対して、形而上学は存在するもの全体を、それが存在するという資格をもつかぎりで探求する。さらに形而上学は、個々の自然現象の原因ではなく、存在するもの全体の究極的な原因(起源)を問う。
このような形而上学の理念は、中世においてはキリスト教神学の課題と統合されて受け継がれた。そして「私は考える(コギト)」の原理を告げたデカルト(Ren Descartes 1596~1650)の主著は「第一哲学についての省察」(1641)と題されており、新たな近代形而上学の範型となった。デカルトに代表される17世紀の合理主義的な形而上学は、18世紀には、例えばヴォルフ(Christian Wolff 1679~1754)の一般形而上学(存在論)と3つの特殊形而上学(宇宙論、心理学、神学)という体系へと展開したが、しかしそのような体系的形而上学は啓蒙期の経験主義のなかで疑われはじめ、とくにカント(Immanuel Kant 1724~1804)の「純粋理性批判」においては苛烈(かれつ)な形而上学批判にさらされることになる。
これ以後、形而上学的な根本的洞察への希求と、人間的な認識の有限性の自覚は、やみがたく相克しつつ、哲学史を駆動した。20世紀には、ハイデガー(Martin Heidegger 1889~1976)が「存在と時間」(1927)において「存在の意味への問い」を新たに問いなおそうと試みたが、他方では論理実証主義者たちは、科学的に検証不可能な命題など無意味な疑似命題にすぎないと断罪した。