啓蒙とは、すべてを人間知性の光に照らしだし、迷信と偏見の闇を打破して、新たな社会や思想を構築しようという巨大な精神的運動であって、イギリス(スコットランド)、フランス、ドイツをおもな舞台として、とりわけ18世紀に大きく展開した。啓蒙を意味するenlightenment 英 ; lumires 仏 ; Aufklrung 独は、いずれも「光」や「明るさ」に由来する言葉である。
イギリスのロック(John Locke 1632~1704)は「人間知性論」(1689)において、生得観念のドグマを否定して経験主義を樹立し、啓蒙期の認識論の基盤を提供した。さらに社会契約に立脚したロックの市民社会論は、名誉革命と続く近代社会の形成に大きく貢献した。イギリスの啓蒙はその後スコットランド啓蒙へと引き継がれ、道徳哲学や経済学の発展に寄与することになる。
フランスのヴォルテール(Voltaire 1694~1778)の「哲学書簡」(1734)は、この先進のイギリス啓蒙の繁栄をフランスに伝えるものであった。フランス啓蒙の精華である「百科全書」(1751~72)は計35巻から成り、工業や農業などの実用的な技術に関する図版を数多く収めた。さらに啓蒙の思想家たちは、旧来の神授の王権にかわって人間理性に立脚した政治を模索したが、その努力はモンテスキュー(Charles-Louis de Montesquieu 1689~1755)の「法の精神」(1748)やルソー(Jean-Jacques Rousseau 1712~78)の「社会契約論」(1762)として結実し、ついにはフランス革命へとつながることになる。
ドイツは多数の領邦国家に分断されていたため、イギリスやフランスのように啓蒙思想が近代国家の形成にかかわることがなく、もっぱら学術的な範囲で発展した点が特徴的である。とりわけヴォルフ(Christian Wolff 1679~1754)の壮大な学問体系は、当時のヨーロッパでも模範とされるものであった。18世紀末、カント(Immanuel Kant 1724~1804)は啓蒙の時代を総決算するように、「啓蒙とは人間が自分自身に責めのある未成年状態から抜け出ることである」という規定を与えた。人間理性への希望と確信こそが18世紀の啓蒙の精神であった。