言語は何らかの実在を写した像として機能しているのではなく、日常生活に根ざした一種の「ゲーム」として成立しているとする、ウィトゲンシュタイン(Ludwig Wittgenstein 1889~1951)後期の用語。ここでの「ゲーム」とは勝敗を競う遊びというより、規則に準じた活動を指す。ただしその場合、規則に従うとはいえ、その規則は必ずしも明文化されているとは限らない。例えば建築現場で「石版」と親方が声をあげれば、助手は石版を親方に渡すことになるだろう(この例は彼の主著「哲学探究」で取り上げられた)。だが助手は規則に従って行動したとは言えるとしても、その規則が明文化されているわけではない。また助手が石版を持ってくる際に、助手が石版の像を心に思い浮かべる必要はなく、また「親方が『石版』と声をあげれば『石版』を持って行く」という規則を助手が内面に常に思い浮かべている必要もない。つまり「言語ゲーム」という考えは、そのゲームに従う行動を各人の内面と切り離して考察している点で、「言語は人の内面と関係する」というような言語観に対して批判的な観点を提出している。