スコラとは学校を意味するラテン語であり、スコラ哲学とは中世(4世紀末から15世紀中ごろ)のヨーロッパにおける「学校の哲学」をさす。この時代において学校とはもっぱらキリスト教会の神学校を意味する。そこでは、古代ギリシャ哲学から受け継がれた哲学は、キリストに対する信仰との緊張関係のうちに置かれる。しばしば、スコラ哲学においては信仰こそが第一のものであって、哲学は補助的なものにすぎないと解されてきた。しかし、長期にわたるスコラ哲学の歴史のなかで、そうした傾向が見られることもあったにせよ、スコラ哲学の全体をこのようにとらえるのは一面的すぎる。信仰と理性の調停とは、理性が信仰に服従するという一方的なものではなく、むしろ「信ずるがために知解せよ、知解するがために信ぜよ」というアウグスティヌス(Aurelius Augustinus 354~430)の言葉が示すように双方向的なものであった。この調停作業にかんする最大の功労者は、おそらくトマス・アクィナス(Thomas Aquinas 1225~74)であろう。彼は11世紀にアラビア経由でヨーロッパに輸入されたアリストテレス(Aristotels 前384~前322)の哲学を神学に適用することで、キリスト教神学の体系化を試みた。
スコラ哲学は神学的性格に加えて、その方法論においても特異な性格をもつ。スコラ哲学では、あらゆる問題が、教会が権威を認めた書物の「注解」や「講読」、肯定と否定に分かれて問題を議論しあう「討論」の形式を通して扱われた。神の存在、三位一体、奇跡といった神学上の問題だけではなく、論理学、形而上学(存在論・認識論)、自然学までもが書物と討論を通じて探究されたのである。実験によってではなく、書物と討論によって自然学の真理に到達しようとするこの態度は、のちにベーコン(Francis Bacon 1561~1626)やデカルト(Ren Descartes 1596~1650)の批判を招くこととなった。