あらゆる存在者をつらぬく存在(ある)そのもの、存在者一般とその構造、あるいはその根源等について探究する哲学の一領域をさす。
古代・中世を通じて、存在への関心は、神の問題と不可分であった。すでにパルメニデス(Parmenids 紀元前515~前450頃)の断片が、存在の永遠不動性に着目している。第一哲学としての形而上学を「存在としての存在」を探究する学問として規定するアリストテレス(Aristotels 紀元前384~前322)によれば、その対象は自立的な存在者としての実体(ousia 希)であるいっぽうで、あらゆる存在者の第一原因、つまり神なのであった。範型的存在者である神を手引きとして存在を探究する傾向は、旧約聖書における「在りて在る者」(出エジプト記)としての神と結びあって、中世へと継承される。中世において「存在」は、存在者の類としてのあらゆるカテゴリーを超越した超範疇(transcendens)として探究される。トマス・アクィナス(Thomas Aquinas 1225頃~74)によれば、「存在(esse 羅)」は神について本来的に述べられるのであって、被造物については類比的に述べられるのである。
「存在論(ontologia 羅)」という用語の初出は、ゴクレニウス(Rudolf Goclenius 1547~1628) の『哲学辞典』(1613)であるとされるが、ヴォルフ(Christian Wolff 1679~1754)に代表されるドイツ講壇哲学においては、魂・宇宙・神を扱う「特殊形而上学」から区別された「一般形而上学(metaphysica generalis)」という部門にこの語があてられることになった。
近代において、存在論は認識論と拮抗しつつ展開された。デカルトのコギト命題は、存在を思惟の確実性において基礎づける。対象そのものではなく「われわれが対象を認識する仕方」にかかわる超越論的哲学を構想するカント(Immanuel Kant 1724~1804)にあって、存在は対象の概念に何かを付け加えるような「レアールな述語」ではない。ヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel 1770~1831)は存在論的な論理学を構想するが、晩年のシェリング(Friedrich Wilhelm Joseph Schelling 1775~1854)はこれに対抗して、概念的思考を超え一切に先行する事実性としての存在そのものを把握することをめざす積極哲学を提唱した。
新カント派による認識論への傾斜を経て、20世紀には再びさまざまな存在論的思考があらわれる。とりわけハイデガー(Martin Heidegger 1889~1976)は、「現存在」としての人間の存在了解を手掛かりとして、現存在の解釈学としての基礎的存在論を構想することとなった。「存在そのもの」と「存在者」の区別は、ハイデガーによって「存在論的差異」と呼ばれる。形而上学の歴史は、この区別を閑却することで存在そのものを隠蔽する存在忘却の歴史とされるのである。