「表象」と翻訳される原語はさまざまであり、そのことに応じて、感覚的印象から概念までの観念的対象、またそういった対象を形成する心的作用、さらには「言語」や「記号」のようにそれ自身以外のものを指し示す代理関係等、その意味する内容は広範にわたる。アリストテレス(Aristotels 紀元前384~前322)において、表象(phantasi)は「感覚(aisthsis)」や「思考(dianoia)」と区別され、両者の中間に位置づけられる。ストア派において、表象は外的物体の働きかけによって魂のうちに生じる刻印であり、また表象に「同意(シュンカタテシス)」が与えられることで認識や行為が成立するとされる。
デカルト(Ren Descartes 1596~1650)は心的作用の対象を観念(ide 仏)のうちに総括したが、ロック(John Locke 1632~1704)は生得観念を否定するとともに、観念(idea)を経験によって獲得される「単純観念」と、その組み合わせによって形成される「複合観念」に分類している。ヒューム(David Hume 1711~76)は、知覚(perception)を「観念」と「印象(impression)」に区別し、観念を記憶・想像における印象の再現に限定している。スピノザ(Baruch de Spinoza 1632~77)によれば、「身体の変容の観念」である表象(imaginatio)は、非充全で混乱した認識であり、あらゆる誤謬の源泉となる。またライプニッツ(Gottfried Wilhelm Leibniz 1646~1716)によれば、単純実体であるモナドはそれぞれに全宇宙を表出するが、その表象(representation, perception)には意識的表象(apperception)から無意識の微小表象(petit perception)に至る連続的推移がある。
ラインホルト(Karl Leonhard Reinhold 1758~1823)は、主観と客観の両者へ関係しつつ両者から区別される表象(Vorstellung)への一元化によって、カント哲学の二元論的構造の克服を図り、ドイツ観念論への道を開くことになった。またショーペンハウアー(Arthur Schopenhauer 1788~1860)は、カントの影響のもとで、世界を根源的で非合理的な「意志」によって生み出される表象としてとらえている。ボルツァーノ(Bernard Bolzano 1781~1848)は、対象からも主観的表象からも区別される客観的な表象自体(Vorstellung an sich)をもって命題の構成要素とすることで、その客観性を保証しようとした。志向性(Intention)は、スコラ哲学に由来する用語であるが、ブレンターノ(Franz Brentano 1838~1917)においては意識に内在しつつ対象へと関係するという心的現象固有の特性をあらわすものとされた。このような志向的体験が表象において基礎づけられるとする立場は、さらにフッサール(Edmund Husserl 1859~1938)の現象学へと継承された。
ハイデガー(Martin Heidegger 1889~1976)は、従来の存在問題における現在の優位を指摘し、「現前(Anwesenheit)の形而上学」への批判を展開する。そしてデリダ(Jacques Derrida 1930~2004)によれば、表象とは不在の根源を代理し、現在化する再現前化(re-presentation)にほかならない。