資本主義がもつ否定的な特徴を示す語としてマルクス(Karl Heinrich Marx 1818~83)によって用いられた概念で、人間と物との関係が倒錯する事態を表す。ある存在がみずからの外部に生み出したもの、つまり外化(Entuβerung 独)したものがその存在にとって敵対的になり、その存在にとって疎遠なものとなる事態が生じる場合、そのような事態が疎外である。初期のマルクスはこの疎外の論理をヘーゲル(Georg Wilhelm Friedrich Hegel 1770~1831)やフォイエッルバッハ(Ludwig Andreas Feuerbach 1804~72)から学び、資本主義における労働疎外の分析に用いた。労働は人間の本質の対象化であり自己確認であるはずだが、資本主義体制では労働生産物は労働者に帰属しないので、労働生産物もそれを生み出す労働も労働者にとって疎遠なものへと変質すると、マルクスは考えた。このような疎外の社会・歴史的な説明に対して、初期のサルトル(Jean-Paul Sartre 1905~80)は、疎外を人間の存在構造に固有のものと見なした。
物象化は後期マルクスが用いた概念で、人と人との関係が物と物との関係として現象する「取り違え」のメカニズムを意味する。個人がその必要物を交換によって手に入れる他ないような社会関係のもとでは、物は商品として交換されるのであるが、交換の当事者にとっては、商品には交換能力のような性質がはじめから備わっているかのように現象する。これが物象化である。この取り違えの結果、商品にはそのような性質がはじめから備わると当事者は思い込んでしまうが、この思い込みはマルクスによってフェティシズム(物神崇拝)と呼ばれた。物象化概念はルカーチ(Lukcs Gyrgy 1885~1971)が取り上げてから注目されたが、その物象化論は疎外論と類似していると解釈されることがある。これに対して、初期マルクスと後期マルクスを峻別したアルチュセール(Louis Althusser 1918~90)と同じように、廣松渉(1933~94)は初期マルクスの疎外論が後期マルクスの物象化論によって乗り越えられたと主張した。