「ポストモダン」とは、19世紀末から1960年くらいまでの科学、文学、芸術、思想等における表現様式を「モダン」(近代・現代)と概括したうえで、「モダン」の後(「ポスト」)の諸潮流を指す場合が多い。ただし「モダン」の「後」に続く運動とはいえ、「ポストモダン」は「モダン」の時間的な後継というだけではなく、「モダン」的な諸価値に対する批判的意味を担う。たとえば建築分野では、ヴェンチューリ(Robert Venturi 1925~)が自身の建築作品や著書『建築の多様性と対立性』(1966年)において、「直線」や「単純性」というような正統的「モダン」の価値観に対しての批判を表明したが、「モダン」への批判という観点には、後にジェンクス(Charles Jencks 1939~)によって「ポストモダン」という名が与えられ、その内実とは「モダン的技術とそれに付加される何か」という「二重のコード化」(double coding)であるとされた。
このように「ポストモダン」という概念は「モダン」的価値に対する批判として用いられる場合もあるが、揶揄(やゆ)的に用いられる場合も多く、哲学領域において、リオタール(Jean-Franois Lyotard 1924~98)のような立場以外で肯定的に論じられることは少ない。リオタールは『ポストモダンの条件』(1979年)において、経済の発展や人間の解放というような、近代を支えてきたとされる「大きな物語」に頼ることはできないと考えた。均一化への同意を否定し、細かな差異への感受性に可能性を見いだそうとしたリオタールの思想の成否はともかく、ポストモダン時代においてはデータベースが人間にとっての「自然」となるという彼の見解は、今日のネットワーク社会を早い段階で予見していたと考えられるだろう。