唯心論は「観念論(idealism)」と同一視されるか「スピリチュアリスム(spiritualism)」の訳語とされるかによって意味内容が異なる。
唯心論を、精神あるいは心は身体から独立した本質的に非物質的な存在者であり、精神による認識が物質的な認識対象に優位するとみる立場と捉えるならば、プラトン以来哲学史上きわめて多くの哲学者が唯心論者に数えられる。この意味では唯心論は観念論と区別しがたい。「存在するとは知覚される」ことだというバークリー(George Berkeley 1685~1753)の有名なテーゼを唯心論の極端な形態と評する向きもある。唯心論が唯物論と対立構図におかれて論じられるとき、観念論への批判が含意されていることが多い。
もう一方で「フランス・スピリチュアリスム」との関連で語られる唯心論は、特定の思想潮流の略称と考えられる。すなわち、それはラヴェッソン(Jean Gaspard Flix Ravaisson-Mollien 1813~1900)、メーヌ・ド・ビラン(Francois Pierre Gontier Maine de Biran 1766~1824)といった19世紀後半から20世紀初頭にかけてフランスで活躍した哲学者の思考の特徴を意味する。この意味での唯心論は、人間の本質を精神性(spiritualit 仏)のうちに追い求める哲学的思考といえるだろう。
唯物論は、質料あるいは物質が宇宙の根源となる実在であって精神活動もまた究極的には物質に基礎をおくとする主張である。哲学史における唯物論には、古代ギリシアの原子論者デモクリトス(Dmocritus 前460頃~前370頃)から17世紀ホッブズ(Thomas Hobbes 1588~1679)の機械論哲学、さらにはディドロ(Denis Diderot 1713~84)、ドルバック(Paul-Henri Thiry, baron d'Holbach 1723~89)ら百科全書派の18世紀フランス唯物論に至る伝統がある。経済活動が土台となって人々の精神を規定すると考えるマルクス(Karl Marx 1818~83)の思考も唯物論の系譜に属し、後に「弁証法的唯物論」とも呼ばれてきた。
ところで、今日では唯物論は物理主義(physicalism)とほとんど同義である。存在論的には物理的存在者のみを認める物理主義によれば、精神あるいは心は最終的には物理的存在者(脳)の活動に付随する(supervene)現象である。