もともとは男性同性愛者を強く侮辱する言葉。直訳すれば「変態」や「おかま」の意。しかし20世紀終盤以降、その侮蔑を向けられてきたセクシュアルマイノリティが中心となり、その言葉を自らの手に奪い返し、「私たちはクィアだ」という開き直りの態度と共に運動や研究が展開され始めた。それらの運動と研究は深い影響関係にあり、クィア・アクティヴィズム(Queer activism)、クィア・スタディーズ(Queer studies)と呼ばれる。
クィア・スタディーズの前身は、それまで研究の「客体」であった同性愛者自身が「主体」として積極的に自らの性愛や文化を研究し、それにより異性愛中心主義(heterosexism)の解体を志向する、レズビアン/ゲイ・スタディーズ(Lesbian/Gay studies)である。そこからクィア・スタディーズが誕生したきっかけの一つは、1980年代のAIDS(エイズ)危機である。AIDSの流行は、同性愛者が自らの性的アイデンティティ(sexual identity)を柱に団結して社会の差別に対抗するという70年代以降のゲイ解放運動(Gay-liberation)の限界を明らかにすると共に、それまで不可視化されがちだったレズビアンやトランスジェンダー、そして移民など、多様なマイノリティを包摂する連帯の運動の必要性を生み出した。そうして生まれたのが、社会の様々なマイノリティが互いの差異を承認しつつ、自分たちを「普通でないもの」として排除する社会に異議申し立てを行う、クィア・アクティヴィズムである。
そうしたアクティヴィズムに応える形で生まれたクィア・スタディーズに理論的な裏打ちを与えたのは、「主体」や「アイデンティティ」等の近代の概念の脆弱さと暴力性を暴くポスト構造主義(Post-structuralism)と、セクシュアリティ(sexuality)を巡るフーコー(Michel Foucault 1926~1984)の理論であった。こうして誕生したクィア・スタディーズは、確固たるアイデンティティへの疑義という視座のもと、主にセクシュアルマイノリティに関わる性の現象を、差異と連帯を肯定しつつ研究するものであり、文学、哲学、社会学などにまたがって横断的に展開されている。
理論の領域で初めて「クィア」という語を用いたのはテレサ・デ・ラウレティス(Teresa de Lauretis 1938~)だが、クィア理論を精緻化した理論家にはE.K.セジウィック(Eve Kosofsky Sedgwick 1950~2009)とジュディス・バトラー(Judith Butler 1956~)がいる。セジウィックは、男性中心主義的な社会における男性同士のホモソーシャルな絆が、女性差別と男性同性愛の不断の拒絶とに支えられていることを明らかにした。バトラーは、当時のフェミニズム(Feminism)において素朴に受け入れられることもあったセックス/ジェンダー(gender)の二分法が、それ自体ジェンダーの構築物であることを説き、「女」というセックスに基づく本質主義(Essentialism)をラディカルに解体する構築主義(Constructivism)の立場に立った。