釈迦が入滅して100年ほど後、仏教教団は上座部(保守派)と大衆部(改革派)に分裂した。その後、紀元前3世紀に上座部がさらに11派に、大衆部が9派に分かれた。これらを部派仏教、それ以前を原始仏教(初期仏教)と呼んでいる。前1世紀頃、出家修行者中心の仏教から、より広範に在家も含めた仏教へと変革しようとする運動が大衆部から起こり、大乗仏教が成立した。
上座部の系統からは戒律を重視する僧院中心の仏教が発達した。大乗系の仏教は中国、朝鮮、日本、チベット、モンゴルなどに伝えられ(北方仏教)、上座系の仏教はスリランカ、タイ、ミャンマー(旧ビルマ)、カンボジアなどに伝わった(南方仏教)。大乗仏教は空(くう)の立場から縁起を説き、大衆の救いを第一に考える菩薩の思想を力説した。
菩薩とは菩提薩た(ぼだいさった:「た」はつちへんに垂)の略で、悟りを求める者の意である。菩薩は仏陀を指す言葉として用いられていたが、誰でもが仏になれるとして菩薩と称し、自分だけではなく他の人びとも救おうという利他行を目指した。上座部ではもっぱら修行と禁欲的な戒律の厳守によって自分の解脱だけを目指す立場をとったため、大乗仏教徒の側は小さな乗り物つまり小乗(ヒーナヤーナ)と誹謗し、自らの立場を大きな乗り物・大乗(マハーヤーナ)と称した。今日では世界仏教徒会議(1950年)の決議によって小乗仏教とはいわず上座部仏教と呼んでいる。