観音は観世音菩薩の略で、慈悲を徳とする菩薩。観音信仰は北西インドで成立し、6世紀末には日本に伝えられ、8世紀になると聖観音や千手観音、十一面観音の像が造られ、後には石山、清水、長谷などの観音寺院が建てられた。西国や坂東(関東)の三十三観音霊場もでき、民衆によって巡礼が行われた。観音への母神信仰から赤子を抱いた姿をした子安観音が造られ、安産や子育てを守護するものとして信仰された。近世のキリシタン禁制時代には聖母マリアを観音の姿にしたマリア観音も現れた。地蔵菩薩は釈迦が入滅してから未来仏の弥勒菩薩がこの世に現れるまで修行僧の姿をして人間を救うと説かれた。平安時代以降に阿弥陀信仰と結びつき、地獄の境に立って亡者の責め苦を救う菩薩、また罪人の苦を代わりに受ける身代わり地蔵として、地蔵信仰が民間に広まっていった。村境や辻に地蔵が立てられ、道祖神や塞(さえ)の神と同じように村を守る役割も果たすようになる。地蔵は賽(さい)の河原で地獄の鬼から子供を救うとして子供の守護神ともなり、子安地蔵、子育て地蔵、子守地蔵、さらに延命地蔵も生まれた。不動明王はインドの憤怒神であったが、仏教は大日如来の使者として取り入れた。日本では平安時代以来、密教において病気や災厄を除去する加持祈祷の本尊として信仰され、山岳信仰と密教から発展した修験道では、山伏が修行によって大日如来・不動明王と同化して獲得した呪力を用いて民衆の現世利益的な願望をかなえ、不動信仰を民間に広めた。観音・地蔵・不動はもっとも民間に普及し広く信仰されている。