仏教・密教や神仙思想(→「道教(タオイズム)」)の影響のもとで、古来から神霊の住む霊山として信仰されてきた山岳で修行し、霊力を修得した宗教者によって形成された宗教。山岳修行によって、験力を修めて加持祈祷(かじきとう)にすぐれた者が修験者と呼ばれた。また山中に寝起きして修行したため、山伏とも呼ばれた。奈良時代に山岳信仰の聖地である熊野や吉野で山林修行をする仏教者が現れ、なかでも蔵王権現を出現させたとされる大和葛城山の役小角(えんのおづぬ)は、修験道の開祖とされた。園城寺(おんじょうじ)と聖護院(しょうごいん)を本山とする天台系の本山派と醍醐寺三宝院を本山とする真言系の当山派の二大教団が形成され、金峯山、大峯山、熊野三山を修験道場として諸国から修行者が集まった。地方では富士山をはじめとして、東北の出羽三山(→「即身仏」)、越中の立山、四国の石鎚山、九州の英彦山が盛えた。明治に入ると修験道は神仏混交という理由で政府によって廃止に追い込まれ、一時すたれたが、やがて復興された。修験道の霊山は古来から女人禁制として、女性が登ることを禁止していたが、今日では女人禁制を続けているのは大峯山系の山上ヶ岳だけになっている。しかし、近年、女性の修行者や登山者が増加し、女性差別となる女人禁制を止めて開放するかどうかをめぐって揺れている。