グノーシスとは、もともとギリシャ語で「知識」を意味するが、ヘレニズムの宗教思想では、人間を救済に導く、究極の知恵・霊知を指す。この「霊知による救済」を目指す諸派の宗教運動がグノーシス主義で、1世紀にエジプトやシリア、パレスチナなどの地中海世界でキリスト教とほぼ同時期に興り、2~3世紀には最盛期を迎えるが、4世紀以降はイランで発生したマニ教(Manichaeism)などを除いて衰退していった。3世紀にイラン人マニ(Mani 216~276または277)の創唱したマニ教は、光と闇=善と悪の対立、そして終末における善の勝利というゾロアスター教と共通の二元論に基づくが、物質世界=現世を否定し、霊知による人間の魂の救済を説く反宇宙的二元論であることなどに、グノーシス主義の強い影響が見られる。これによれば、光に由来する魂は肉欲の虜(とりこ)となり、物質=肉体に閉じ込められているが、魂が光の断片であり、神と同質であることを想起し、物質に抗して禁欲に努めるなら、終末の時には光の領域に救済され、神と合一できると説く。ギリシャ哲学とキリスト教との統合を図り、初期キリスト教時代最大の理論家とされる教父アウグスティヌスは、青年期にマニ教の聴聞者となり、大きな影響を受けたが、のちにキリスト教徒となり、著書「告白」でマニ教を批判した。