天皇即位後に執行される最初の新嘗祭(しんじょうさい、にいなめさい)のこと。古くは「おおにえのまつり」「おおなめまつり」とも読んだ。記録の上では、『日本書紀』天武天皇二年(673年)の条が初出になる。律令の施行細則を定めた『延喜式』などによれば、中心となる儀礼は、11月の卯の日の深更から翌朝まで催される大嘗宮の儀。大嘗宮(だいじょうぐう/だいじょうきゅう)は、東の悠紀殿(ゆきでん)、西の主基殿(すきでん)から成り、廻立殿(かいりゅうでん)の回廊で結ばれている。悠紀殿・主基殿は皮のついたままの樹木「黒木(くろき)」で造られ、神の祭祀の終了とともに破却される。これは神社の古い形である。悠紀殿・主基殿の両殿内には八重畳(やえだたみ)が敷かれ、天照大神(あまてらすおおみかみ)をはじめとする皇祖神を祀る神座(かみくら)や、寝具となる御衾(おぶすま、おふすま 襲衾、追衾とも書く)、坂枕(さかまくら;薦[こも]で作る傾斜のついた枕)などが設置される。新天皇は、廻立殿で潔斎の湯あみをし、初めに悠紀殿で、次に主基殿でその年に収穫された稲の初穂を供え、その後天照大神と共食する儀礼(直会[なおらい])や御衾にくるまる儀礼が行われる。これらは秘儀とされ、詳細はわかっていない。大嘗祭は初穂を神人共食する民間の儀礼である新嘗祭を、王権の儀礼として整備・発展させたものとされるが、いくつかの解釈がなされている。その代表が折口信夫で、前天皇から受け継いだ天皇霊(すめらみことのみたま)を、寝具に寝た新天皇に入れて移行させる魂振り(たまふり)の儀礼だとした。大正・昭和天皇の即位礼・大嘗祭は、ともに国事行為として京都御所で行われた。今上天皇の場合、即位礼は国事行為として1990年(平成2)11月12日に、東京の皇居で行われた。一方大嘗祭については、神事・宗教儀式であり、政教分離の原則に抵触するとの指摘もあり、伝統的な皇位継承儀式に伴う皇室の公的行事(→「皇室神道」)として、11月22日から23日に宮廷費によって催された。