佐賀県唐津市にある弥生時代の墓地遺跡。唐津市教育委員会の調査により、甕棺墓(かめかんぼ)2基が発見され、銅器や鉄器の破片ほかが出土した。銅器破片の1点は、1944年に発見された中国鏡(流雲紋縁方格規矩鏡〈ほうかくきくきょう〉、後漢初期、西暦1世紀前半ころ、重要文化財)の一部であり、他の1点は巴形銅器(装飾品)の一部であることが分かった。そのほかにも、中国製の内行花紋鏡(前漢末)の破片2点、鉄製素環頭大刀(そかんとうたち 把頭に環の装飾がある大刀)の破片4点、大小のガラス製管玉7点および小玉約2100点がある。この2基の墓は防空壕(ごう)によって壊されたため、位置関係は復元できないが、副葬品の質の高さからみて中国の史書「三国志」の魏志倭人伝に記載される末盧国(まつろこく)の王墓であると推定できる。