滋賀県東近江市の、愛知(えち)川が山地から平野に流れ出る地点右岸の河岸段丘にある縄紋時代草創期の集落遺跡。圃場(ほじょう)整備工事に伴い滋賀県埋蔵文化財保護協会が発掘調査を行った。5棟の縦穴(竪穴)住居(→「縦穴建物」)が発見され、その1棟から約1万3000年前の土偶1点が見つかった。縦穴住居の保存状態が良い1棟は、平面がややゆがんだ円形であり、直径8メートル、深さ0.6~1メートルと、草創期の住居としては最大規模である。土偶は高さ3.1センチ、最大幅2.7センチであり、女性の上半身、特に豊かな胸とくびれた胴を表現している。同時期のものは三重県松阪市粥見井尻遺跡例しかなく、日本最古級の土偶である。相谷熊原土偶が女性の上半身、特に豊かな胸と胴部を表現し、頭部や腕の表現を省略していることは粥見井尻遺跡例と共通するが、据え置き式であることは粥見井尻遺跡例と異なり、自立式土偶としては最古例である。本遺跡はこの時期、日本列島中央部で定住生活が本格化し精神文化が発達しつつあったことを示している。