奈良県明日香村の飛鳥盆地の西北、橿原市との境に近い位置にある飛鳥時代(7世紀ごろ)後半の古墳。明日香村教育委員会が発掘調査を行った。二上山の凝灰岩をくり抜いた2つの部屋をもつ石槨、石槨を囲む鉢伏山(大阪府羽曳野市)から運んだ安山岩製の柱状石材、墳丘裾に並べた凝灰岩切り石の石敷きが見つかった。そして石敷きの形から当古墳の墳形が、当時の天皇陵に採用された八角形墳であることが分かり、牽牛子塚古墳が斉明天皇陵(在位655~661年、皇極天皇が重祚)である可能性が高まった。斉明天皇は「日本書紀」に、娘の間人皇女(はしひとのひめみこ)と667年に合葬され、「続日本紀(しょくにほんぎ)」には699年に陵を造営したと記録されている。本調査により、最初の埋葬が岩屋山古墳でなされて、後に牽牛子塚古墳に改葬されたと推定できるようになった。なお八角形は道教の世界観に由来するとされ、世界を支配するという意味が込められているという。八角形墳は飛鳥盆地以外でも少数の有力者が採用したが、飛鳥盆地の八角形墳は特に卓越した内容をもっている。