福岡県古賀市の谷山北地区にある遺跡群。遺跡群内にある古墳時代後期の船原古墳(6世紀末~7世紀初め)の羨道(せんどう 墓室に入る通路)入り口から約5メートル離れた細長い穴から、馬具1式、武具、農具などが200点以上見つかった。中でも、金銅製品を中心とする馬具が40点あまりを占め、金銅製の鞍(くら)、轡(くつわ)、杏葉(ぎょうよう)や雲珠(うず)などの飾り具、青銅製の馬鈴、鉄製の鐙(あぶみ 足掛け)、鉄板製馬冑(かぶと 馬の頭部を守る)、蛇行形鉄器(鞍の後ろに立てて旗指物をたなびかせる)などからなっている。少なくとも4組の馬具があるとみられる。馬具の下には黒漆塗り弓6張以上、鉄製鏃(やじり)数十点があり、農具は鉄製の鋤(すき)先や鎌などがあった。このような品々を古墳の外の埋納坑に納めた例は、日本では初めてである。2015年、古賀市教育委員会が本古墳を再調査して、全長42メートルの前方後円墳であることが明らかにされた。