岡山県岡山市中区にある、古墳時代前期末(4世紀後半ごろ)の大型前方後円墳(全長約165メートル)。2014~15年、岡山市教育委員会が調査して、クビレ部(前方部と後円部の境)にある作り出し(つくりだし、四角い張り出し。古墳築造中は古墳の入り口、葬儀の後は道を遮断して祭りをおこなったと推定される)を埴輪列で区画して区画内に家形埴輪などを配置していることがわかった。また埴輪列の一部には柵形埴輪を用いていた。全体として埴輪の配置は畿内地方と共通し、また柵形埴輪は当時の大王級古墳で用いられたものである。この時期は、吉備勢力が大和政権を支えていたと考えられ、本調査成果は当時の吉備地方と畿内地方が密接な交流関係を示していると考えられる。