1908年生まれ。青少年期は様々な職業を転々としながら詩を書き続け、サトウハチローの知遇を得る。その紹介で昭和初年に浅草軽演劇の世界に入り、やがてエノケン(榎本健一)のために多くの喜劇を書いて当たりを取る。続いて古川緑波(ふるかわろっぱ)を中心とする劇団「笑いの王国」の座付き作者となり腕を振るった後、緑波の移籍に伴い活躍の場を東宝に移す。戦後はラジオドラマ「鐘の鳴る丘」「君の名は」で一世を風靡(ふうび)し、さらに小林一三に請われて東宝の演劇担当重役となり、芸術座の創設、ブロードウェイ・ミュージカル「マイ・フェア・レディ」や、初の和製ミュージカル「モルガンお雪」の上演、八代目松本幸四郎一座の東宝入り、帝国劇場の新築再開場、「風と共に去りぬ」の舞台化など、様々な面で東宝演劇の発展に貢献する一方、劇作家としても最後まで幅広い多くの名作を発表した。代表作に「花咲く港」「がめつい奴」「ダル・レークの恋」「放浪記」など。73年没。その功績を記念して、75年に菊田一夫演劇賞が制定され、現在に至る。