2011年3月の東日本大震災の後、5万戸以上の応急仮設住宅がつくられているが、被災の規模が大きく、全体の総数が多かったために、ハウスメーカーのプレハブだけではなく、さまざまな木造仮設住宅も各地で登場したり、建築家が関与するプロジェクトが目立った。福島のはりゅうウッドスタジオは、ログを用いた木造仮設住宅地の計画や釜石市における難波和彦(なんばかずひこ 1947~)との共同設計を行っている。他にも宮城県南三陸町での針生承一(はりゅうしょういち 1942~)、岩手県遠野市での大月敏雄(おおつきとしお 1967~)研究室など、多くの建築家が木造の仮設住宅や集会所の建設にかかわったり、付加的な装置や施設を手がけた。すなわち、震災が起きてから行動しても、工場の生産ラインを変える介入は難しいが、標準的なシステムがとりこぼす余白を改良していくことは可能である。また坂茂(ばんしげる 1957~)は、震災以前から得意としていた海運コンテナの規格を用いた仮設住宅を提案し、実際に導入している。彼は宮城県女川町において、少ない面積で戸数を増やすべく、コンテナを市松状のパターンに3層重ねた仮設住宅を設計した。今回の経験を通じて、震災前から来るべき災害に備えて提案を行うことの重要性、また仮設住宅から復興住宅への移行をどうするかなどが課題として浮上している。