2011年3月の東日本大震災の直後、地元の学校以外にも著名な建築家が設計した文化施設は、家を失った人たちの緊急の避難所として一時的に機能した。例えば、槇文彦(まきふみひこ 1928~)による名取市文化会館(1998年)や石井和紘(いしいかずひろ 1944~)による宮城県慶長使節船ミュージアム(サンファン館)(1996年)である。新居千秋(あらいちあき 1948~)が設計した岩手県大船渡市のリアスホール(2009年)は、襞(ひだ)状に細かく分節された小さな内部空間が、被災者それぞれの居場所をつくり、良好な環境を形成した。また北川原温(きたがわらあつし 1951~)のビッグパレットふくしま(1998年)は、避難者が仮設住宅へ移った後も、各地域の復興対策本部基地として利用されている。佐藤尚巳(さとうなおみ 1955~)のいわき芸術文化交流館アリオス(2009年)は、避難所指定を受けていなかったが、劇場で使う資材を生かして被災者の環境を改善し、さらに地盤被害のひどかったいわき市庁舎の一部機能の移転先としても貢献した。また東京では、丹下健三設計のグランドプリンスホテル赤坂(1982年)が2011年3月31日の閉館後、原発事故で避難してきた福島県民のために、同年4月から6月まで被災者を受け入れ、思わぬ活躍もした。こうした文化施設は、いわば本来の目的とは違う集合住宅として瞬間的に転用され、非常時においてその真価を問われた。