「三冠牝馬」メジロラモーヌ(→「三冠馬」)や牝馬G1で5勝のメジロドーベルなど、多くの名馬を送り出してきた日本有数のオーナーブリーダー(→「馬主」)。北海道洞爺湖町の本場(育成牧場)と伊達市の分場(繁殖牧場)を有する中規模の牧場だったが、生産馬は売らず、レースの賞金によって運営されてきた。創業者の北野豊吉(1984年死去)は「メジロ」の馬から「メジロ」の名馬をつくることを信条とし、その遺志を引き継ぐことで、メジロアサマ、メジロティターン、メジロマックイーンの父子三代天皇賞制覇を成し遂げた。しかし、牧場で育まれた血統を守りながら時間をかけて中長距離馬をつくっていく経営方針は、競走馬の早熟化とレースのスピード化が進む時代にそぐわなくなり、2000年代に入って生産馬の成績は落ち込んでいった。さらに、JRAの馬券の売り上げ減少に伴って、本賞金(→「賞金」)とは別に生産者・馬主に支給される手当や助成金が減額されたり廃止されたことも牧場経営を苦しくする要因となり、11年5月20日付で牧場を解散、馬主業からも撤退した。中小牧場の理想とまでたたえられた名門牧場の解散は、サラブレッド生産界に大きな衝撃を与えた。