1997年前半から始まったタイ・バーツに対する売り圧力を原因に、バーツは同年7月変動相場制に移行し、大幅に下落した。このころから、フィリピン・ペソ、マレーシア・リンギット、インドネシア・ルピアに対する売り圧力が強まり、これらの通貨も7月から8月に相次いでドルに対する切り下げを余儀なくされた。同年10月には、台湾ドルが米ドルに対して下落したほか、韓国ウォンは、11月下旬に至り大幅な切り下げを余儀なくされた。この頃には香港ドルへの売り圧力も強まったが、香港はカレンシー・ボード制度による厳格な米ドルに対する固定相場制をしており、金利を大幅に引き上げるなどの対応により、切り下げを免れた。この間、中国も為替相場の下落圧力を受け、資本逃避と見られる資本流出が発生したが、人民元を米ドルに固定して切り下げを避ける政策を維持し、この当時は国際的に高く評価された。これらの通貨危機により対外支払いが極めて困難になったタイ、インドネシア、韓国では、IMF(国際通貨基金)に対して支援を要請し、従来のIMF貸出枠の基準を大幅に上回る金融支援が策定された。
その後アジア諸国通貨は小康状態となったが、98年8月には構造問題が深まるロシアがIMFプログラムを実行できず、ルーブルに対する売り圧力が強まった。このため、ロシアは政府短期債務と民間対外債務のモラトリアム(支払い停止)を宣言した。この結果ルーブルの対ドル相場は大幅に低下した。
ロシア危機の後98年末には、財政赤字問題が深刻化していたブラジルでもリアルに対する売り圧力が強まり、12月のIMFによる巨額の金融支援にもかかわらず、99年1月には変動相場制移行を余儀なくされ、実質的な切り下げが行われた。また隣国ブラジルの危機により、通貨に対する売り圧力を受けたアルゼンチンは、自国通貨を放棄して米ドルを国内通貨とするドル化を検討すると発表した。
しかし、ブラジルが危機を乗り切った後、アメリカ経済の拡大持続やヨーロッパ経済の回復が途上国の輸出を吸収する形で、途上国経済は予想外に急速な回復を見せた。特にインドネシアを除くアジア諸国は高い成長率と国際収支の改善を見せた。