ハーバード大学のJ.ナイ教授は、政治支配の暴力的な側面、つまりは軍事力や警察力のようなハード・パワーの対極にあるものとして、世論や経済力や教育のようなソフト・パワーの重要性を強調している。この10年近く、イラク戦争とアフガニスタン戦争において、世界最強のアメリカの軍事力をもってしても、世界の石油資源が集中している中東地域で安定した秩序を形成し得ないでいる、という事実に対する反省から生まれた理論である。支配の暴力的側面に注目する理論(→「暴力装置論」)に対して、すべての支配は世論の支持の上にのみ成立し得るという理論の歴史も長い。共和政ローマの雄弁家キケロは、元老院の権威は民会に集まった人民の権力に基づくと指摘したし、18世紀スコットランドの経験論哲学者D. ヒュームは、たとえ最も専制的な支配者にしても近衛兵部隊の世論が背後になければ存立できないとして、「すべての支配は世論に基づく」と指摘したのは、有名な事例である。人は確かに暴力支配に対する恐怖から服従する。しかしその支配にいくらかでも正統性を認知するから服従するとすれば、強さの支配は正しさの支配に転換していくであろう。支配の暴力性がむき出しに現れるのは、その支配の末期的な極限状態にのみ見られる現象である。逆に支配は人民の授権によってのみ成立するのが正常な状態であるとすれば、支配の暴力的側面は消滅するはずである。