森喜朗政権の行き詰まりを受けて2001年4月、自由民主党(自民党)総裁の小泉純一郎を首相に発足した政権。当初は自民、公明、保守(のち保守新)の3党連立政権、保守新党が自民党に合流した後は自公連立政権。小泉首相は「聖域なき構造改革」を掲げ、持論の郵政民営化のほか道路公団改革を打ち出し、党三役・閣僚選考では「脱派閥」人事を断行した。内閣発足直後の世論調査では86.3%(共同通信調査)とかつてない高い内閣支持率を記録。01年7月参議院選挙では自民党64議席と大勝し、同年8月総裁選では小泉総裁が無競争で再選された。02年1月の田中真紀子外相の更迭で人気が急落したものの同年9月の電撃的な訪朝で盛り返した。03年9月総裁選で3選(自己任期では再選)を果たし、党幹事長に安倍晋三を起用、内閣改造を行った。同年11月総選挙で自民党237人と過半数割れしたが、連立政権としては絶対安定多数を確保した。04年7月参議院選挙では「改選51議席」割れの敗北を喫した。同年9月の内閣改造と党執行部人事では党幹事長に武部勤、郵政改革担当相に竹中平蔵を起用し「郵政民営化実現内閣」の陣容を敷いた。05年通常国会に郵政民営化法案を提出、参議院で否決されたのを受けて衆議院を解散。9月11日投票の総選挙では与党として327議席を得て圧勝した。9月21日に全閣僚を再任して第3次小泉内閣が発足。郵政民営化法を成立させたうえで、10月31日に内閣改造を行った。安倍晋三官房長官の起用などにより党内は「ポスト小泉」への動きが活発化し、小泉総裁は06年9月任期切れで退陣した。