小渕恵三首相の突然の病気入院、退陣を受けて2000年4月に自由民主党(自民党)総裁の森喜朗を首相として成立した自民、公明、保守3党による連立政権。閣僚メンバーは全員引き継いだ。しかし小渕首相の病気入院から退陣に至る政権継承が政府与党首脳の密室協議で決まったため、発足当初から政権の正統性に疑問が出た。これを反映して内閣支持率も低迷、さらに森首相自身の「日本は天皇中心の神の国」との発言が問題化した。同年6月2日に衆議院解散に打って出て同25日投票の結果、与党3党とも大幅に議席を減らした。3党では「絶対安定多数」を確保し再指名を受けた。しかし景気は回復せず、外務省機密費やケーエスデー中小企業経営者福祉事業団(KSD)事件という3Kが政権の重荷となっていたところに、01年2月にアメリカ原潜と水産練習船「えひめ丸」の衝突事故が起きた際、森首相がゴルフを続けたことが世論の厳しい批判を浴び、4月退陣に至った。