2009年の政権交代で成立した鳩山由紀夫内閣における仙谷由人公務員制度改革担当大臣は、各府省に君臨してきた事務次官ポストの廃止を検討する考えを打ち出した。事務次官を頂点とする官僚のピラミッドの上に大臣・副大臣・政務官の政務三役が乗る構図となっているが、事務のトップがいる限り、事務方はそちらを見て仕事をするから、大臣と次官のどちらが主軸かわからない、というのがその理由。官僚たちが、短期間で代わる大臣よりも、次官に忠誠を誓うのは当然とされてきた。事務次官に代えて「事務担当副大臣」を置き、大臣が自由に任免できる特別職とし、政治主導を担保する考え。しかし、政権内でも廃止に慎重な意見が出た。特に平野博文内閣官房長官は、事務次官ポストについて自分は必要であると思っていると述べ、この存続が決まってしまった。10年1月、鳩山総理は、幹部人事を一元管理する「内閣人事局」の設置等の公務員制度改革に伴い、事務次官の名称は残し、事務次官から局長への再任を可能にする案を出した。
民主党政権誕生後初めてとなる各省庁人事異動が10年夏に行われたが、幹部人事を官邸が一元的に管理するための公務員制度改革関連法案の成立の見通しが立たない中で、外務、財務、文部科学、厚労、農水、経産の各省の事務次官には、省内秩序で「本命」と目される人が決まった。国土交通省は、所管公益法人の解散などにより1972年入省の次官が4代続くことになった。各省の案を官邸の人事検討会議に諮って決めるという従来と同じ手続きとなった。(→「事務次官等会議」)