各府省の事務方のトップである事務次官等が、通常週2回ある閣議の前日に、法案・政令や人事などの閣議案件を決めるため参集する会議(→「事務次官」)。官僚の最高ポストである事務の内閣官房副長官が主宰し、内閣法制局長官も出席するので「事務次官等」という。鳩山由紀夫連立政権発足の前々日の2009年9月14日が実質的には最後の会議に、政権発足の翌日の9月17日は事務次官等会議の廃止を確認する、文字通り最後の会議となった。これにより、内閣制度発足の翌年の1886年(明治19年)から、慣例上、存在してきた内閣の意思決定装置は終息した。民主党は「政治主導の意思決定を阻む元凶」とみなしていた。代わって、府省間の政策調整を担う「国家戦略室(局)」と、閣僚同士が頻繁に会い活発に議論する「閣僚委員会」が新設された。その後、東日本大震災の被災者支援のための「被災者支援各府省連絡会議」、同震災からの復旧・復興に関する事務を取り扱う「東日本大震災各府省連絡会議」へ変わり、野田佳彦内閣において国政全般の幅広いテーマを扱う「各府省連絡会議」として定例化し、毎週金曜日に開催することとなった。2012年12月に発足した第2次安倍晋三内閣では、当初、事務次官等会議の復活を表明していたものの、官僚主導の復活と取られることを避けるため、「各府省連絡会議」の名称を「次官連絡会議」へ変更し、その位置付けも「内閣の基本方針を徹底し、各府省間で情報共有する」ための会議と説明している。(→「事務次官廃止案の経緯」)