普天間基地移設問題で行き詰まった鳩山由紀夫首相の辞任を受けて行われた2010年6月4日の民主党国会議員による民主党代表選挙で、財務大臣の菅直人が当選、そして、国会で総理大臣に選ばれ、8日に内閣を組織した。首相就任後の所信表明演説で、菅は「経済・財政・社会保障の一体的立て直し」の柱を立て、公共事業中心の「第一の道」でもなく、また、行き過ぎた市場原理主義の「第二の道」でもなく、「経済社会が抱える課題の解決を新たな需要や雇用創出のきっかけとし、それを成長につなげようとする政策である『第三の道』による立て直し」を図ろうと述べた。菅内閣の登場で内閣や民主党に対する支持率が急回復した。そのため菅内閣は発足早々に通常国会を閉会し、参議院選挙に突入した。しかし選挙期間中、菅首相は、10%の消費税増税について発言。これを機に支持率は低下し始め、7月に実施された参議院通常選挙で民主党は敗北し、衆参両院の多数派が異なるねじれ国会が再び登場した。9月の民主党の代表選挙では小沢一郎が菅に対して挑戦したが、菅が小沢を破って代表に再選された。
これより前、9月7日に沖縄県尖閣諸島沖で中国漁船が日本の海上保安庁の巡視船に衝突し、中国船の船長が逮捕されるという事件が起こった。日本政府は普通の刑事手続きを進めるとしたが、中国はこれに対して激しく抗議。結局、菅内閣は24日に中国人船長を釈放したが、日本政府の弱腰の対応が菅内閣の支持率を急落させた。こうした中で、参議院では11月に、政府の尖閣問題の責任者である仙谷官房長官と馬淵国土交通相に対する問責決議案が野党の賛成多数で可決された。菅首相は11年1月に内閣を改造し、自民党の与謝野馨を経済財政担当相に任命。社会保障と税制の一体改革、社会保障の維持のための消費税の増税を目指すこととなった。こうした中、3月に東日本大震災と東京電力福島第一原子力発電所の事故が発生した。折からの統一地方選挙で民主党が敗れ、また、菅内閣の震災対応に対する批判もあり、6月に野党は内閣不信任案を提出した。民主党内では小沢一郎や鳩山由紀夫らのグループからこれに同調する動きが出たために、菅首相は間接的に辞意を表明することにより事態を乗り切ったが、かえって首相の退陣時期が最大の政治課題となり、政治は停滞した。8月、再生エネルギー特別措置法案が成立する運びとなり、同月30日に内閣は総辞職した。