韓国の盧武鉉政権(2003~08年)の統一・外交・安全保障政策の基本構想を指す。目標として「韓半島の平和増進」と「北東アジア共同繁栄の追求」、推進原則として(1)対話を通じた問題解決、(2)相互信頼優先と互恵主義、(3)南北当事者原則に基づく国際協力、(4)国民と共にする政策が掲げられた。とりわけ、北朝鮮の核問題を南北当事者原則の下に解決し、軍事停戦協定を南北間の平和協定に転換させることに力点が置かれ、最終的には「北東アジア平和協力体」の構築を目指す。これと関連し、南北経済交流協力の拡大を通じて、「韓半島の経済共同体の形成」も目指すとされている。そこでは、仁川地域をITなどの先端研究開発、釜山を部品素材の集積地、光陽地域を新素材の集積地としつつ、南北間の鉄道・道路再連結を通じてシベリア鉄道と連動させ、朝鮮半島を物流と情報の中心地にしようとする構想も展開している。実際、盧武鉉政権下でも南北経済交流協力は拡大し、2005年10月には、南北政府が共同で運営する南北経済協力協議事務局が北朝鮮の開城に設置された。ただし、南北首脳会談(2000年)の南北共同事業の一環として推進された鉄道再連結事業については、京義線と東海線の鉄道試運転に合意までされながらも、第4回南北将官級軍事会談が決裂し、金大中元大統領が陸路で平壌を訪問するという予定も延期となった。また、盧武鉉は「北東アジア平和協力体」構想を実現する上で、6者協議の枠組みが有用と考えている。6者協議は南北当事者原則が反映して実現した多国間協議ではないが、盧武鉉は6者協議共同声明が採択された後、韓国が「主導的役割」を果たす必要を強調し、06年5月のモンゴル訪問では、北朝鮮に無条件で「制度的、物理的支援」を行う用意に触れた。このなかで、陸路でモンゴルに到達できるよう努力を呼びかけたことにみられるように、盧武鉉は南北経済交流協力がやがて地域的な広がりをもつことを構想していた。