第2次核危機(→「北朝鮮核開発問題」)において、アメリカが核問題解決の枠組みとして提案した多国間協議を北朝鮮が受け入れるかたちで、北京で米朝中3者協議が開かれ、それに日本、韓国、ロシアが加わって2003年8月に実現した枠組み。08年12月まで、第1回から第6回に至る協議が開催されてきたが、第4回は2度、第5回は3度にわたる協議が開催された。さらに、第6回では3度の公式協議のほか、3度の首席代表者協議と1度の非公式外相協議が開催された。当初、「完全かつ検証可能で不可逆的な(核)解体」(CVID)の原則の貫徹を要求したアメリカに対して、北朝鮮が高濃縮ウラン計画を認めなかったために協議は停滞したが、05年「9・19共同声明」(→「6者協議共同声明」)で、北朝鮮の核放棄の見返りに米朝および日朝の国交正常化と北朝鮮へのエネルギー支援を行うという枠組みに関する合意が形成された。その後BDA問題(→「資金洗浄問題」)で6者協議が空転する中、ついに北朝鮮が06年7月ミサイル発射実験を断行(→「北朝鮮のミサイル問題」)、10月には地下核実験を強行(→「北朝鮮の核実験(2006年)」)し、緊張は一挙に高まった。しかし、07年2月13日、「共同声明履行のための初期段階合意」で、「行動対行動」の原則に基づいて、段階的に問題解決を志向する方向が再確認された。現在、第2段階も完了しようとするところに来ているが、核計画の検証方法をめぐって米朝間、6者協議での合意が形成されなかったため、ブッシュ政権末期に協議は再び停滞局面を迎えた。アメリカのオバマ政権登場後、オバマ政権が米朝直接協議への志向を明示するなど、6者協議の再開の可能性が期待されたが、09年4月北朝鮮のミサイル発射、5月の核実験(→「北朝鮮の核実験(2009年)」)などで緊張が高まり、北朝鮮は6者協議には参加しない立場を明確にした。その後も、6者協議への北朝鮮の復帰をめぐる米朝間の綱引きが続いたが、10年3月哨戒艦「天安」沈没事件と11月延坪島砲撃事件に起因して南北間の緊張が激化するとともに、北朝鮮が高濃縮ウラン開発を公表する事態に至る。そうした状況への対応として、北朝鮮は中国を仲介役として6者協議の再開を主張するが、日米韓は慎重な姿勢を堅持している。