北朝鮮の核開発をめぐっては、米朝交渉をめぐる米朝関係を軸とする情勢が展開されてきた。1990年代前半における北朝鮮の核開発を封じ込めるための米朝交渉の帰結が94年10月のジュネーブ枠組み合意であり、ここでは、北朝鮮がプルトニウム抽出などの核開発を凍結・解体する代わりに、アメリカなどが軽水炉型の原発の建設を推進し、完成までのつなぎのエネルギー支援として重油を供与することが約束されるとともに、米朝関係の正常化に向けた動きが示された。しかし、そもそも、この合意は、クリントン政権が北朝鮮の金正日体制の持続可能性に対して懐疑的であったからこそ成立したという側面があった。その後、第2期クリントン政権は、韓国の金大中政権による対北朝鮮包容政策の選択という新たな局面に直面し、北朝鮮の金正日体制との間で、核ミサイル問題の解決を米朝関係の進展を含めた包括的な枠組みで処理しようとするペリー・プロセスを開始する。しかし、ブッシュ政権への政権交代に伴う、北朝鮮の現体制自体に対する不信から帰結される対北朝鮮無視・強硬政策への旋回、そして北朝鮮自身の核開発への明確な意思によって、02年後半から第2次核危機(→「北朝鮮核開発問題」)が発生した。その後、米朝の綱引きが続いたが、その結果、6者協議が成立し、その枠組みで北朝鮮の核問題の解決を志向する合意が形成された。05年6者協議9・19共同声明(→「6者協議共同声明」)で、お互いの要求するメニュー一覧、つまり、北朝鮮に対して完全な非核化を要求する代わりに、北朝鮮の求める米朝および日朝の関係正常化を進めるとともに、朝鮮半島における恒久的な平和体制を構築するために協議することが提示された。しかし、その後は、そのメニューをどのような手順でお互いに充足していくのかをめぐって、相互不信もあって、合意できない状況が続いている。米朝関係改善の手順としては、現在のアメリカによる制裁を緩和、解除するとともに、米朝の敵対関係の起源である朝鮮戦争に関する終結を法的に確定するための平和協定を締結し、それに基づいて米朝の国交正常化を実現するということになると思われる。ただし、そのためには北朝鮮の核放棄が前提条件とならなければならないとアメリカが考えるのに対して、アメリカを交渉に引き入れ交渉を北朝鮮ペースで進めるためにこそ核カードが必要だと北朝鮮は考えているのが現状である。