北朝鮮では、社会主義体制において世襲制はないという周囲の予想を裏切る形で、1970年代から金日成から金正日への世襲体制が可視化し、当初は党(朝鮮労働党)を基盤とした後継体制が構築されていった。金正日後継体制への移行の最終的な仕上げは、90年代以後、国防委員会第1副委員長選出、朝鮮人民軍最高司令官推戴(すいたい)に見られるように、金正日の軍掌握であった。金正日後継体制への移行は、また、国政全体における軍の比重の増大を意味した。94年の金日成国家主席死去後、「軍隊はすなわち人民であり、国家であり、党である」とする「軍重視思想」というスローガンが掲げられるようになったが、98年9月の憲法改正で、国家主席制を廃止するとともに、金正日が国防委員会委員長に就任した。また、99年6月の労働新聞(朝鮮労働党中央委員会機関紙)など3紙共同社説で初めて「先軍政治」に言及されたが、これは金正日国防委員会委員長に対する絶対的忠誠心を基盤に、軍重視思想をある種の指導的な政治イデオロギーにまで発展させようとするものであった。その後「先軍」は政治のみならず「先軍思想」として、憲法にも「主体思想」と肩を並べる北朝鮮の指導理念にまで位置づけられた。また、金正日政権は、北朝鮮を「強盛大国」にすることを目標としている。これは、一方で核兵器を開発し軍事強国を目指すとともに、他方で人民に白米を腹一杯食べさせるような「豊かな国」を、金日成生誕100年である2012年までに構築することを意味する。しかし、経済目標の達成には依然として困難が予想され、期待された効果は上がっていない。また、08年以後、金正日の健康悪化問題に起因して後継体制への移行が進み、金正日の義弟、張成沢らの後見によって、三男金正恩が10年9月党代表者会で党中央軍事委員会副委員長に就任し、3代世襲体制がほぼ確定的になった。