大シリア主義を標榜(ひょうぼう)していたシリアが、レバノンを主権国家として認識していく過程。シリアはレバノン内戦(1975~90年)後、91年5月の両国協力強調条約、9月の安全保障合意などにより、レバノンへの実効支配を確立してきた。これに対し、国際社会では2003年ごろからシリアのテロ支援、レバノン占領支配への非難が起き、同年12月、アメリカでシリア問責レバノン主権回復法が成立、04年9月にはシリア軍撤退などを含む国連安保理決議1559が採択された。05年2月のハリリ・レバノン元首相暗殺事件へのシリア首脳部関与の疑惑が高まると、レバノン国民の反シリア感情も表面化した。同年4月、シリアはタイフ合意による29年間のレバノンでの平和維持活動に幕を閉じ、軍と情報機関を撤収した。また、5、6月実施のレバノン国民議会選挙でもシリア関係が争点となり、反シリア勢力が多数派となった。さらに06年6月採択の国連安保理決議1680は、両国間の国境画定、外交関係の正式樹立を迫っている。06年7月から8月のイスラエル・ヒズボラ紛争、11月のジュマイエル工業大臣の暗殺、07年5月からのパレスチナ難民キャンプでの武装勢力ファタハ・イスラムとの軍事衝突など、対シリア関係にもからむ事件が続いた。07年11月には、ラフード大統領の退任、ヒズボラが有する軍事通信網の解体が課題となる中で、08年5月、政府とヒズボラ間で武力衝突が起きるなど、故ハリリ首相の流れをくむレバノンのシニオラ政権(当時)の弱体化が見られた。しかし、08年5月にミシェル・スライマンの大統領就任が決まり、シリア関係は改善、8月13日に国交正常化で合意を見た。さらに、09年12月にはレバノンの新首相となったサアド・ハリリがシリアを訪問し、アサド大統領との会談を行っている。