地域大国であるイランとサウジアラビアの対立が激化した結果、2016年1月にサウジが行ったイランとの国交断絶措置。ペルシャ人の国イランと、アラビア半島の覇者サウジは、歴史的にライバル関係にある。イランのもう一つのライバルであったイラクは、米軍のイラク侵攻(03年)により弱体化し、イランに対抗できなくなった。そのため湾岸産油国がイランと直接対抗する状況となった。一方、イランは02年の核開発疑惑発覚以降、欧米諸国あるいは国連の政治的、経済的な制裁下に置かれ、湾岸諸国にとっては好ましい政治状況が生まれていた。しかし、15年にイランと国際社会が核問題に関して合意に至り、16年には、イランは国際的孤立から脱却する状況が生まれた(→「イラン核開発に関する合意」)。長年イランに対し強硬姿勢をとってきたアメリカが頼りのサウジであったが、イランとの核合意を進めたオバマ政権に対する不信感が高まり、サウジとアメリカの関係も緊張した。そのためサウジは、イランに対する警戒を強めていた。そんな中、サウジは16年1月2日、アルカイダ関係のテロリストなど47人を処刑した。処刑者の中に、イランに近いシーア派の聖職者が1人含まれていたことから、反発したイラン国民がテヘランのサウジ大使館を襲撃したため、サウジは1月3日にイランと国交を断絶した。17年2月時点で国交は回復していない。両国の関係は依然緊張状態にあり、サウジは、自国の南に位置するイエメンで発生した紛争にイランが関与していることを非難している(→「イエメン内紛」)。またシリア内戦では、イランはシリア政府軍を、サウジは反政府軍を支援しつつ、軍事介入をしている。