19世紀末、ドイツのG.カントールは、本人も「私はそれを理解するが、信じない」と述べたほどの驚くべき論文を発表した。これが集合論の誕生である。しかし、当時の学会の主流は、無限集合の奇異な性質を許容できず、カントールを攻撃し、彼は失意のうちに精神病院で一生を終えた。
彼は集合を「明確に区別できるものの集まりで、その集まりに含まれているかどうかが確定できるもの」と定義し、無限集合にその要素の個数である濃度(potency)を定義した。そして、整数全体と有理数全体の濃度は等しく、実数の濃度はこれらの濃度より大きいことなどを示した。その後、B.A.W.ラッセルはラッセルのパラドックスを示し、それを除くために公理的集合論(axiomatic set theory)が建設された。