何らかの作用がなされるとき、その作用を担うものが主体、作用を及ぼされるものが客体。特に認識作用にかかわる場合、前者が主観、後者が客観と呼ばれる。認識や行為の担い手として、主観・主体は人間の自我・心・精神などを指すことにもなる。
しかし、subjectという語のこうした用法は近代的思考の産物である。なぜなら、subjectのラテン語の原語subjectumが元来意味していたのは、事物の諸性質の担い手としての基体だったからである。事物を支え成り立たせるものが、世界の側から明確に人間の側へと移されて捉えられたこの点に、近代的思考の一つの傾向があった。以後しばしば人間は、客観的な認識を構成する主観、客体としての事物に働きかけそれを作り変える主体として把握されることになる。しかし世界から自立した能動的な主観・主体としての人間の捉え方に対しては、唯物論などからくり返し批判がなされている(→「心身問題」「自由/決定論」)。