シミュラークルとは見かけ上の類似物を意味するが、ドゥルーズ(Gilles Deleuze 1925~95)及びボードリヤール(Jean Baudrillard 1929~2007)によって独特の意味を付与されることになった。シミュラークルとは、「オリジナル(原本)」対「コピー(写し)」という対立とは別の仕方での思考を促すものである。プラトン(Platon 紀元前428/427~前348/347)のイデア論を例にするなら、知の対象たる「イデア」が「オリジナル」であり、現実世界での認識の対象は「イデア」の「コピー(写し、似姿)」ということになる。「オリジナル」対「コピー」として認識のあり方を捉える限りでは、「コピー」は「オリジナル」の二次的派生物でしかない。しかし「コピー」が「オリジナル」とは別の秩序を生み出してしまうならば、「コピー」は「オリジナル」の単なる派生物ではない。例えば「地図」は、現実の領土を写し取ったもの、すなわち「コピー」であり「イメージ」であるが、領土争いがしばしば示すように、派生物であるはずの「地図」の書き換えが、現実の領土を規定してしまうことがある。派生物、類似物、二次的な模写にすぎないはずのものが、「オリジナル」であったはずの現実を規定してしまうのである。「オリジナル」とされる現実を規定するような類似物こそ、シミュラークルと呼ばれるものである。このようなシミュラークルの効果が「シミュラシオン」(シミュレーション)と呼ばれる。
別の例を挙げれば、「ディズニーランド」も「シミュラークル」である(ボードリヤールによる例)。「ディズニーランド」とは「おとぎ話」の世界であり、現実世界の派生にすぎないような、架空の世界である。しかしながら、海賊・シンデレラ・宇宙や未来の世界など、一見すると魅惑的な諸装置は、現実世界の単なる派生として存在しているのではない。冒険・恐怖・友情・歓喜が演じられるいくつものドラマは、観客に対して「素晴らしいことは何か」という観点を提示することで、「ディズニーランド」こそ現実に存在するべき価値観だと語っていることになる。「地図」が領土を規定するかのように、「ディズニーランド」が「シミュラークル」として現実を規定してしまうのである。このような分析は、「ディズニーランド」だけに限定されるのではなく、小説や映画、漫画等のフィクション全般にかかわると言ってもよいだろう。