人間が経験に先立って生まれながらに持っている観念や知識。その起源は古代ギリシャにまでさかのぼる。プラトン(Platn 紀元前428/7~前348/7)は、人間は生まれる以前にイデアを見ており、肉体に宿るとともにそれを忘却してしまったが、感覚をきっかけとしてイデアを思い出す、という想起説を唱えた。
16世紀以降の哲学では、生得観念を認めるか否かによって、一般的に合理論と経験論に分けられる。生得観念を認める合理論の代表者としては、デカルト(Ren Descartes 1596~1650)が挙げられる。デカルトは、方法的懐疑によって感覚的経験を真理から排除し、明晰・判明な知を真理の基準とした。そして、人間の精神がこの明晰・判明な知を持つことができるのは、神によって生得観念が刻み込まれているからだとした。これに対して、生得観念を否定する経験論の代表者としては、ロック(John Locke 1632~1704)が挙げられる。ロックは、すべての観念や知識は経験から得られるとして生得観念を否定し、何も経験していない人間の心は、文字の書かれていない白紙(タブラ・ラサ tabula rasa)のようなものだとした。さらにカント(Immanuel Kant 1724~1804)は、アプリオリ(a priori)な(経験に先立つ)純粋悟性概念を認め、認識が成立するためには直観と概念の両者が不可欠であるとして、合理論と経験論を調停しようとした。
また、言語学者のチョムスキー(Noam Chomsky 1928~)は、生成文法理論を唱え、人間が言語を習得できるのは、「言語的普遍」という生得的構造を持っているからだと主張した。