釈迦の入滅後、2000年を経過すると、釈迦の教えだけが残り、悟りを得る者はいなくなるとするのが末法思想であり、中国から伝えられた。平安時代後期は飢饉(ききん)や日照り、水害、地震、疫病の流行、僧兵の抗争が続き、貴族も民衆も危機感を募らせ、末法の到来におびえた。末法の第1年は1052年(永承7)に当たるとされ、末法の救いを阿弥陀仏に求める浄土信仰が盛んになり、この年に関白藤原頼通が宇治の平等院に阿弥陀堂を建立した。この末法思想を深刻に受けとめて、誰でもが容易に救われることのできる教えを説いたのが鎌倉新仏教の宗祖たちである。(→「仏教」)
表「宗教関連年表」